餃 子

Last-modified: Fri, 20 Aug 2010 11:15:42 JST (2802d)

 新宿駅の甲州口を出て左にしばらく、線路脇の階段を下りたところに、大陸飯店といううすぎたない中華料理店がある。店のすぐ前にはいつも貨物車が並んでいて、あたりのバラック建築や崩れた下水の臭いなどとともに、うらぶれた場末の風景を形作っている。長い間中国にいたと言うその店のおやじはでっぷりと肥え、もう久しく散髪に行ったことがないのが自慢だった。無理もない、彼の頭には髪がなかった。

 その頃の東京は、35円のラーメンが大はやりだった。いつだったか客の一人が「ここは50円か、高いなおやじ」と言ったのに対して「とぼけるな、食ってから言え!」と怒鳴りつけたことがある。なるほどおやじの料理は美味かった。なかでも餃子の味は格別だった。

 僕がその店の常連になってしばらくの頃、友人の一人を連れて行った。酒を飲んでいたその友人は、入るとすぐ大声で叫んだ。「おやじ、餃子を呉れ!」「うるさいね、囁いたって聞こえるんだ」おやじがむっとして答えた。「怒らなくたって良いじゃないか、餃子!!」と面白半分に友人はまたどなった。おやじのまゆがピクッと動き、目玉がぐるっと廻った。「あんたにやる餃子はない、帰れ!!」おやじはそれっきり本当に餃子を焼こうとはしなかった。

 大学4年の秋、関東合唱コンクールに初出場した僕たちは、混声1位総合2位という予想外の好成績に、歓声を挙げながら大陸飯店に繰り込んだ。「今日は俺がおごる」みんながそう言っていた。狭い店が紺の背広で埋まった。「よおっ、玉川連隊!」おやじはすこぶるご機嫌だった。餃子を食い、パイカルを飲み、男声合唱が始まった。

 その時、がたがたの戸が開いて、窮屈そうに身を屈めた黒人兵がのっそり入って来た。黒人霊歌の合唱は誰からともなく止んでしまった。ニッと白い歯を出して笑っていたその黒人兵は、すぐに不思議そうな顔になって何か早口にしゃべった。英文科のO君が通訳した。「どうして歌を止めたのかと聞いてるんだ」「ほんものが来たんじゃ、照れくさくて…」とA君、皆がどっと笑った。じっと僕らの顔を覗き込んでいた黒人兵の顔はその笑い声に歪んだ。あざけりと聞いたのか。O君の説明でその表情はゆるんだ。そしていかにも嬉しそうに笑った。

 やがて僕たちは、彼と肩を組んで歌った。正確に言えば、ぶら下がって歌ったわけだ。なかなか良い声だった。彼の歌に合わせて僕らは、思い思いにハミングで伴唱した。終電の時間になってやっと、僕らは席を立った。黒人兵が財布を出しながらおやじに何か言った。おやじは眼玉を白黒させながらO君に通訳を頼んだ。O君が照れくさそうに説明したところでは「今日は大変愉快に歌わせて貰ったから、そのお礼にこのボーイたちの勘定は僕に払わせてくれ」ということだった。結局僕らは、一銭も払わずに大陸飯店を引き上げた。

 卒業して帰岡する直前、僕はもう一度大陸飯店を訪ねた。「今日はおやじがおごるよ」と言いながらおやじは、懐のさびしい僕がまだ一度も食べたことのなかった味自慢の肉団子をサービスしてくれた。「東京を離れたら淋しくなるだろう」多少感傷的になって黙って箸を動かしていた僕の顔をおやじが覗き込んだ。「一番淋しいのは、おやじの餃子が食えなくなることさ」「嬉しいこと言うね、この野郎。ほい!」僕の前には肉団子の皿が二つ並んだ。

 「東京で一番旨いものは」と聞かれたら僕は即座に、あの赤ら顔のおやじを思い出しながら、「大陸飯店の餃子」と答える。

  昭和34年12月発行(1959) 岡山東商高文学部機関誌「東流」第7号による