阪神淡路大震災

Last-modified: Tue, 20 Jul 2010 11:19:21 JST (2774d)

 1995年1月17日の朝、私はヴイーン市6区の小さなアパートで目覚めた。7時頃だったろうか。いつもの習慣通り何気なくテレビのスイッチを入れた私の目に飛び込んで来たのは、日本で大地震が起ったという飛んでもないニュースだった。オーストリア放送は2つのチャンネルとも国営だが、その画面では、西日本の大都市、神戸・大阪・京都が壊滅的打撃を受けたと報じていた。

 すぐに国際電話を掛けたが繋がらない。阪神方面の親戚にも、勿論岡山にも繰り返し掛けたがどこにも繋がらない。時差の関係から、私がテレビのニュースで地震を知ったのは発生から8時間ばかり経っていたわけだから、後から考えると繋がらないのは当然だったのだが、ひどいことが起ったとは感じても具体的な状況が何もわからないのは大変な不安だった。

 やっと通じた電話で、淡路が震源地で神戸が特にひどいらしいこと、岡山は震度4でかなり揺れたものの被害はなかったとは知ったが、関西地方に多い親族の安否まではまだ判らなかった。9時のニュースには無惨に崩れ落ちた高速道路が映し出され、広範囲な火災の発生が報じられた。13時のニュースでもかなり長く日本の地震関係について報道があり、関東大震災に次ぐ地震災害になるだろうと予感させた。

 18日の欧州版朝日新聞には、当時の村山首相が、社会党の分裂問題で記者団に質問されて、「それどころではない、地震対策が先だ」と答えたとあった。当然のことだ。それからしばらく、日本の大地震に関するヴィーンの新聞やテレビの報道は途絶えることがなかった。19日には死者が3100人を超え、20日には4000人、21日には4500人に達した。「クーリエ」という新聞は、『自衛隊よりもスイスの犬の方が速かった』という皮肉な見出しの記事で、緊急事態への日本政府の対応の遅さを指弾していた。

 私が何より嬉しかったのは、流言飛語や略奪に関する新聞記事を全く目にしなかったことだ。「人々は整然と並んで食料を受け取った。割り込みも略奪もなかった。」という文章を、救われる思いで読んだ。政府はどうあれ、日本人は健全な国民なのだと思った。