スイスへの旅

Last-modified: Mon, 19 Jul 2010 16:49:38 JST (2869d)

 あまりの暑さにヴィーン脱出を計画、西駅へチューリッヒまでの寝台の予約をしに行ったが、今日、明日とも売り切れということで諦める。しかしとにかくスイスへ行くことにして、明日朝の出発を決める。

8月2日 

 7時35分発の、EC160マリア・テレージア号でスイスに向け出発。インスブルックまでの出張らしい二人連れの男性と同じコンパートメント。年長の方の凄いバリトン氏と会話、ドイツ人の議論好きを実感した。インスブルックからチューリッヒまでの車窓は絶景だが、山が高過ぎて頂上まではなかなか見えない。

 到着後、駅でスイスフランに両替してから宿探し。ホテル・アドラーに荷物を置いて、15年振りのチューリッヒの街を歩く。河を隔てて見える、ライトアップされたペーター教会や聖母教会の風景は絵葉書そのもの。名物のフォンデュを食べようとそれらしいレストランを探したが見つからず、ホテル・アドラーに帰ってひょいと見ると、宿のレストランにフォンデュと書いてあった。早速中国風フォンデュなるものを注文したら出て来たのはスイス風シャブシャブで、期待していたチーズフォンデユにはありつけなかった。

 処変われば品変わるで、スイスではフィアテル(ワインのグラス売りで4分の1瓶のこと)はないのだそうだ。そして面白いことに、3分の1(ドゥリッテル)ならあると言う。アメリカのドルにもクォーターがあるように、4分の1というのは量を示すごく普通の単位だと思うのだが。スイスドイツ語の判り難さも大いに手伝って、一杯の白ワインにありつくのにかなり悪戦苦闘した。

 ホテル・アドラーのあるローゼンガッセは飲食店街らしい。ひっきりなしに大勢の観光客らしい人が通るのを部屋の窓から眺めてから就寝。

8月3日 

 チューリッヒ9時7分発、ベルナー・オーヴァーランドへ。ルツェルンで乗り換え。ルンゲルン湖の水の色が凄い。人を寄せ付けぬ冷然とした雰囲気は、北海道の摩周湖に似ている。インターラーケン東駅に到着したのが12時23分。ユングフラウヨッホ往復の切符を買ってグリンデルワルトへ。

 日本語案内所で今夜のホテルを紹介して貰ってから、また登山電車に乗ってクライネ・シャイディックへ。この上ないと思われるほどの素晴らしい天気で、アイガー、メンヒ、ユングフラウと並んだ豪勢な展望に、時の経つのを忘れ、讃美の言葉も忘れて、ただ見入る。私自身は15年ぶりだが十美子は初めて、連れて来た甲斐があった。続いて登ったユングフラウヨッホからの展望もこの上なく雄大で素晴らしい。グリンデルワルトの可愛いホテル、サン・スーシ泊。

8月4日 

 朝、もう一度クライネ・シャイデックへ。団体旅行だったらこんなことはとても出来まい。雲一つない天候に恵まれて、三山を中心にしたベルナー・オーヴァーランドのパノラマを存分に満喫できた。山の天気の常識から言えば、二日続きでのこのような状態は希有のことではなかろうか。ベルンに向かう車中で車掌にヴィーンに帰りたいのだと言うと、チューリッヒに泊って明日のこれこれの列車に乗れと教えてくれた。しばらく経ってまた来て、もっと良いのがあった、9時33分発のパノラマヴァーゲンが素晴らしいからぜひ乗れと勧める。チューリッヒ駅で座席予約を取り、ペーター教会に近いホテル・キンドゥル泊。

8月5日

 EC163トランスアルピン号に乗車。スイス国鉄ご自慢の車両は窓が途方もなく大きく、天井の半分くらいまで透明ガラスで、山を見上げるのがとても楽だ。

 ベルンからインスブルックまでのスイス人夫妻と隣同士になり、建築家だったという主人の方と話がはずむ。こちらに来てから車中で知り合った人たちの中で、一番落ち着いて話が出来た相手だったと思う。夫人がインスブルックの出身で、1週間滞在するのだと。家族の写真を見せて貰うなど打ちとけ合った気分で楽しい旅ができた。

 この人の口からも、日本の都市の名は東京の次に広島、そして長崎が出てくる。原爆のこと、日本人と日本製品の優秀なこと、この谷を南に行くとイタリーに行ける、左を流れているのはイン河だ、などの案内もしてくれながら、静かな口調で語る。

 一番困ったのは日本の政治形態についての質問で、『天皇は最高の存在なのか』というものだった。最高(Der Höchste) は、『神』をも意味する。天皇が現人神(あらひとがみ)と呼ばれていた時代を知っている世代の人なので迂闊なことは言えない。日本語で説明するとしても困難な事柄で、象徴という憲法用語をそのままシンボルと置き換えても理解して貰えない。

 大統領はいないが、議会があり政府もあって、結局イギリスの王室と同じようなものだと納得して貰うまでに、かなり苦労した。別れ際に、色々話が出来て楽しかったと言うと、ドイツ語で話すのは大変だったでしょうと同情してくれ、ヨーロッパでの生活が楽しいものであるように、そして無事に日本に帰られるようにと挨拶してくれた。

 ヒュッテルドルフでU4に乗り換え。久し振りにヴィーンに帰った気がする。