「魔笛」二題

Last-modified: Mon, 19 Jul 2010 20:05:33 JST (2869d)

その1 フォルクスオーパー -11.29

 フォルクスオーパーで待望の「魔笛」を観た。期待に違わぬ、というより、それ以上のというべきだろう。パルケットの1列目の9番、指揮者の右斜め後ろで、オーケストラボックスも殆ど全部見える。管、特に金管の連中が出番のないところでは引っ込んでのんびりしているのまで良く見える。これから先にもあまりない経験だろう。

 フォルクスオーパーは4回目だが、今日は客に子供の多いのが目立つ。演出にもよるのだろうが、ライオンが半ダースも出て来たり、ゴリラやキリンまで登場するのだから、十分お子様向けと言えるだろう。幼い頃からこんな素晴らしい音楽に親しむことの出来る国の子供は幸せだと思う。休憩時間には親がオーケストラボックスのところに連れて来て、置いてある楽器の名前などを教えている。最高の教育だと思う。

 今日一番痛感したのは、「魔笛」はフォルクスオーパーにうってつけの出し物だということだ。シュターツオーパーで見るよりも、ここで見る方がしっくりする作品ではないかと感じる。 Singspiel の訳語の「歌芝居」に何となく抵抗を感じていたのだが、今日でその抵抗感はなくなった。やはり芝居なのだ。「魔笛」に関する限り、歌芝居という語感がぴったりだと思う。シュターツオーパーよりも芝居小屋としてのイメージに近いフォルクスオーパーの方が、この作品には適しているのではないだろうか。

 「魔笛」の主役はザラストロではなく、タミーノでもパミーナでもなくパパゲーノだと思う。これは初演の時にパパゲーノを演じたのが、モーツァルトにこの作品を書かせた本人のシカネダーだったということも原因の一つなのだろうが、モーツァルト自身としても、真面目一筋のタミーノよりも自然人そのもののパパゲーノの方に、より大きな魅力を感じた結果ではないかと思う。

 その他の作品でもモーツァルトは、善人や真面目人間よりも、幾らか外れたりとぼけたり悪意を持っていたりする人物の方を、より生き生きと描いていると思う。「後宮」のオスミンや「魔笛」のモノスタートスなどは、悪役なのだが実に面白い。「ドン・ジョバンニ」のオッターヴィオのような真面目人間は損をしている。

 第2幕で、パミーナが切々と悲しみのアリアを歌っている場面での、パパゲーノの鶏の足の食べっぷりとの対照が実に面白い。ただがつがつと食べるのではなくて、細い骨にくっついて残った肉までしゃぶり取るようにして丁寧に食べる。役者本人の性格なのか、演出なのか、もし演出だとしたら驚嘆すべき入念さだと感じる。パパゲーナの変身ぶりも見事だし、変身した後の若々しさや同じ衣装で出てくる子役たちの可愛さなど、パ・パ・パの2重唱がこのオペラの魅力の大きな柱になっている。

 ストローのついた巨大なコップや動物たちの面白さ、セリの有効な使い方、1幕での「夜の女王」の吊り下げなど、施設が十分に活用された演出の見事さ。装置の美しさやその転換の早さ。試練の場の舞台設定の良さ。セリフの鮮明さなどなど。やはり本場だと痛感する。この街で生まれ、この街でもう200年以上も上演され続けている作品なのだから、当然と言えばそれまでだが。

 オケの連中の逃げ足の速さにもびっくりした。2度目のカーテンコールの時にはもう2、3人しか残っていない。凄い早さだ。客席係の人の日本語も凄い。プログラムを買った時の「どうも、ありがとうございました」には驚かないが、客席の中では写真を撮ってはいけませんとまで、ちゃんとした日本語で言う。値段の高い席の処には日本人客が多いから、日本語の達者な人を配置しているのだろうか。

 12月2日の「こうもり」、今からわくわくしている。

その2 シュターツオーパー -12.16

 -6度-2度、晴れ。最高気温が零下になったのは今日が初めてで、朝9時のベランダの温度計が-4度を指している。さすがに冷たい。

 シュターツオーパーは今日が初めてだが、幸いなことに値段にしては良い席だった。ロジェなら後ろの席でも良く見えることが判った。前列に日本の若い女性2人が来ていて、そこは2000Sだと言う。私の席は450S。穴場と言っても良いようだ。次からの良い参考になった。

 様々な感想があるが、フォルクスオーパーと比較してみて、音楽の質ではやはり一段か二段か上だが、数段とまでは言えないように思う。アンサンブルが良い。何よりもオケの音が良い。オケだけに関して言えば数段上か。演出や演技、装置などは、どちらがどうとも言えないような気がする。フォルクスオーパーの「魔笛」の印象が鮮烈だったこともあり、判官びいき的な気持ちも幾らかあるが、「魔笛」に関してだけ言えば、私の第一印象はあまり間違っていないと思う。

 昨日、今日、台本を読んでいたおかげか、前回よりはセリフがかなり聞き取れた。と同時に、演出に関わる原作のト書きに忠実な演出をしているのは、むしろフォルクスオーパーだと感じた。シカネダーの台本がト書きまで含めて最高のものかどうかは別としての話だが、例えば、ザラストロの最初の登場は、原作ではライオンの牽く車に乗ってくることになっていて、フォルクスオーパーではぬいぐるみのライオンが引いて来たのだが、シュターツオーパーでは歩いて出て来た。

 パパゲーノの自然児としての描き方や、モノスタートスのいやらしさなどもフォルクスオーパーの方が実感があって良いように思う。ただ、3人の童子の役はフォルクスオーパーでは3人の女性が演じていたが、シュターツオーパーではヴィーン少年合唱団のメンバーが演じている。これはやはり童子の感じが出て、シュターツオーパーの方が良い。

 つまるところ、「魔笛」を大衆演劇として捉えるならフォルクスオーパー、高度な芸術作品として捉えるならシュターツオーパーということになるのだろうか。少なくとも初演当時の「歌芝居」としての「魔笛」は、大衆演劇だったのではないかと思うのだがどうだろうか。

 パパゲーノの食べっぷり、パ・パ・パの場面の子役の登場、夜の女王の登場と退場、動物の種類や小道具の面白さ、ザラストロの胸の日輪、火の試練水の試練の場の構成、カーテンコールの時の照明のあり方など、比較するものは数限りなくあるが、結果的にはそれぞれのオーパーの雰囲気に相応しい演出なのだろう。

 劇場としてのシュターツオーパーの雰囲気はさすがに豪華。ラウンジなどのスペースもゆったりしている。観客の服装は意外にラフで、ジーパンもいて、日本人女性のカクテルドレスが派手過ぎてむしろ異様に感じられた。